バンコク、ドバイ、鬱

ずっと溜めてたことを書きます。まさか自分が鬱病になるなんて。

阿部ちゃんと鉄板

僕らの朝は、アルコールと共に始まる。

酒屋のだいちゃんから適当にジンやらワインを買い、皆んなで予備校の前の通りの真ん中に座り、まわし飲みをする。

予備校の先生達も心得たもので、扱い辛い僕らみたいな生徒には、大学生のチューターを付け、生活態度をやんわりと注意した。

僕らについたチューターは、サキちゃん。高岡早紀を更に美人にしたような顔でいつの間にか自然と皆んなでそんなあだ名で呼んでた。

獣医畜産大学に通ってるくせに夢はディズニーのアイスショーに出ること。サキちゃんはいつも屈託のない笑顔で僕らと接し、時には飲めないアルコールを無理して飲んで僕らが家の側まで送り届けたこともある。

サキちゃんはいつだって僕らの味方だった。


朝から空きっ腹に入ったアルコールは頭の中をぐるんぐるん回り、代々木の商店街を僕はどうにか足を前に前にと進めながら歩いた。


いつも予備校の玄関口に座り、目に入っていたのが、大きな茶色のアメリカンバイクだった。

向かいのビルの脇に決まって停めてあり、その日の昼過ぎ、酔っ払った仲間とバイクに手をつけた。

とは言っても盗む訳でも傷付ける訳でもなく、ただ跨り、お互いポーズを決め写真を撮りあった。

そう、デジカメなんてなかった時代、毎日日記のように写るんですという名のインスタントカメラで何十枚と事あるごとに写真を撮った。

仲間と睨みを利かせた顔のアップ、彼女とのキスの写真、ひたすらその時の記憶を残すようにシャッターを押した。


バイクに跨っていると、不意に誰かに胸ぐらを掴まれた。


てめー、人様のバイクにどういうつもりだ!!えーっ?分かってやってんのか、この野郎。


オールバックに決めた頭に白いTシャツ、色褪せたジーンズにブーツ姿。


名前は阿部ちゃん。

ビルの地下にある広島お好み焼き屋の従業員だった。

群馬の出身で、高校を出てからお好み焼き屋で働くこと14年。

Tシャツから覗いた腕は筋肉質で、僕はやり返そうと手を払い除けようとしたが、僕を睨む目の迫力に負けて、降参してしまった。


お前ら、店入れ。


そういうと阿部ちゃんは、階段を降りて店の扉を開けた。

僕らは黙ってついていくしかなかった。


お前ら、朝から酒なんて飲みやがって、あれか?大検の奴らか?

親から金出して貰って学校行かせて貰ってんのに、ロクでもねえぞ。


黙って頷くしかなかった。

済みませんでした。

誰となく、口をついて出た言葉。

黙々とキャベツの千切りをする阿部ちゃんを前に、働く大人を見せられた初めての瞬間だった。


暫くすると、彼は笑顔になり、食ってけと広島焼きを焼いてくれた。

慣れた手つきで、カウンターにある鉄板に卵を2つ割り、それを鉄ベラで円を描くように伸ばした。

その横で刻んだキャベツと焼きそばを炒め、先に焼き始めていたクレープ状になった卵の上に載せた。

更に卵を2つ割り、さっきと同じようにクレープ状にし、キャベツと焼きそばの上に置いた。


手際よく用意された皿に出来上がった広島焼きを載せると、オタフクソースと青のりを振り掛けた。


食べていきな。


人数分のコーラと特大のお好み焼き。


その日僕らは初めて会い、怒鳴りつけてきた阿部ちゃんに、夢中で自分達のことを夕方まで店で話した。


勉強出来て、進路が選べるなんて自由でいーなぁ、お前ら。

笑いながら阿部ちゃんは言ってたけど、帰り際にいくらですか?と聞いた時には、んなもんいらねーから、また昼にでもいいから食べに来いよ、と言ってお金を僕らから受けとらなかった。


僕らはその翌日から阿部ちゃんに会いに毎日顔を出すようになった。

準備時間中、お好み焼きを焼く鉄板を油で磨き、毎晩、開店と同時に第一号の客に僕らはなった。


阿部ちゃんは、親がサラリーマンだった僕ら仲間に腕一本で働く姿を身近で見せてくれた初めての大人だった。