バンコク、ドバイ、鬱

ずっと溜めてたことを書きます。まさか自分が鬱病になるなんて。

背中を押す

身体が自然と前に出る。

踏み出さずにはいられない。

そんな時間が誰にも平等に訪れたのだろうか。

会社員になり、髪を切り、無駄に邪魔なネクタイを締め、そうして始まった生活の中で僕は大学時代に訪れた何度目かタイで右腕に入れた誰にも見えないタトゥーや耳に残ったピアスの穴で抵抗を続けた。

会社員、社会人、どこかで常にマイナスの響きを持つ言葉に僕はいつも怯えていた。

ビジネスマンだったら、違うのだろうか。


やりたかった編集者の仕事を、出版業界が縮小してる中、不安定だという親の圧力に負け、僕はオイルを扱う商社に入社した。

面倒見の良い職場で、僕は昼食でも飲み会でも一銭も払ったことはなかった。おまけにバンコクに留学する為に退職した時は、6年分の退職金に上乗せしてバンコクでの生活の準備金として50万をくれた。

今思い返せば僕はこの上ない程、会社に恵まれていた。


それでも、営業先に出掛ける途中、いつも通り道にしていた吉祥寺のノマドという本屋を併設した旅行会社を訪れては衝動的にバンコク行きのチケットを予約しては、その週末に風邪を装い、飛行機に乗った。


たった4日間の旅行。

成田に向かう電車に乗った瞬間から僕の身体は軽くなった。

バックパックは今ではスーツケースに替わり、宿も1日数百円だったものが、四つ星のホテルに替わり、会社員生活という枠の中で考えれば、まずまずは成功と言える立場を手に入れることが出来た。


でも身体を自然と押し出すあの感覚はもう消えてしまった。


新宿ルミネ口を出て、代々木まで歩いた10代のあの日、僕はいつも見えない何かに身体を押されていた。

前へ、前へ。


僕は相変わらず予備校の授業にはまともに出ない日が続いた。

アルコールを買い、代々木の商店街の小道を入ってすぐのところにある小さな公園で仲間と朝から酔っ払い、昼過ぎには誰かが飲みすぎたワインを口から紫の透明な液体と共に地面に染み込ませた。

誰も朝から何も食べず、吐くものは液体しかなかった。

僕はぼーっと吐いている友達の口から流れ出る液体を見て不思議ときれいだと感じていた。


午後がやってくると、典子が公園にやってきて、僕に真っ直ぐ向かってくると、酔っ払った僕の隣に座り、首に腕を絡ませキスをした。

回数を重ねる毎に僕らのキスは洋画で見るような、誰が見ても次の段階に進んでる、と容易に想像がつくものに変わっていた。

誰かに教わった訳でもない。

当時、よく雑誌PopeyeやHotdogで特集されていたセックスに関する記事を読んだり参考にもしていない。

お互いを知ろうとすればする程、唇を近づける行為はもっと大胆なものに変わった。


大多数の17歳が高校に通い、眠たい目を擦りながら授業と戦っている間、僕はアルコールを飲み、好きな女の子とキスをしていた。


風が僕を押した。

怠惰な生活でも家に篭ることもなく、代々木へ僕を向かわせ、自分を誇示せよ、と心の中で誰かが僕に常に問いかけていた。

朝からアルコール漬けの毎日が自己の誇示かと言われば、今になっては疑問だが、同じ歳の人達とは違う毎日を送っていることに一人快感や優越感すら抱いていたんだ。