バンコク、ドバイ、鬱

ずっと溜めてたことを書きます。まさか自分が鬱病になるなんて。

10年ぶりの友達に再開、彼は癌でした。

タイ語の響きが好きだ。

仕事でどんなに英語を使おうが、日本語のように、頭で考えることなく、好きなことを思ったように伝えることができるタイ語には勝てない。いつもタイ語を使える環境にいたら、と思うけど、この数年そんな環境から遠ざかり、気づけば砂漠の隣に住んでいた。


タイは遠い。遠かった。


近いはずなのに、会社が用意した赴任先はドバイだった。

会社なんてそんなものだ。



久々にタイ語を話したのは、2週間前。


タイ人の友達があるデザインコンテストに入賞し、その賞品として東京に旅行に来たのだ。


彼は、日本に来る前にやたらとトイレの場所を聞いてきた。


1日最低40回のトイレ。


久々に会った友達は甲状腺癌の後遺症と共に東京にやってきた。


一緒にきたタイ人達は、僕のタイ語のせいで日本人だとは思わなかったらしい。


友達は病気になるまで、仏教なんて一切信じてなかったらしい。

僕のタイ人の友達のなかで、たった一人だけ。


そんな彼も癌にかかり、すがったものが、お坊さまの説法だった。


お坊さまの説法は、タイ人ですら分からない言葉が多い。


理解するには、相応の時間が必要だ。


友達には、ただ聴くだけで良い、と言われた。


気持ちが楽になるらしい。


僕の病気は見えないけど、楽になるのだろうか。


友達が別れ際にいった。


自分には時間が限られている。

いつ、その時がくるのか分からない。

だから、後悔したくない。


いきなり泣いた。

二人で泣いた。

病気は違えど、得体の知れない恐怖を絶えず抱えてるんだ。僕らは。


知りあったばかりのタイ人の女の子が一言。


あなた達、別れ際のカップルみたいね。


そうだよ、と笑って言い返した。







会社員、ダメ人間

僕は今日会社を休んだ。


言い訳のメールを考えること30分。

長ったらしい、それらしい理由を書いて送った。


今日は朝から気分が憂鬱だ。


これが10代なら学校をサボって、授業を抜け出して、なんて歌にでもなりそうだけど、会社員の僕はそうはならない。


会社員の休みは遠い。


身体と心を少しでもトゲトゲとした場所から遠ざけるには周りを見ないようにパソコンとキーボードに向かい続けるか、知らないふりをするのが一番だ。


でも僕にはそれができない。

知らないふりも出来ない。


だから、どこかで、気づくと、心がとんでもなく萎んだり、折れたり。


だから、会社を休む。


ガサゴソとした音が足元に絡みつくようで落ちつかない。


きょうは眠れるだろうか。


もうすぐ、11月だ。


気付いたら日本に戻って2年近くになってしまった。


鬱。君は大丈夫

鬱病

やっかい、よくわからない、いつ治るのか。

難しい病気だ。


僕はそう診断されて5ヶ月が過ぎ、また会社に戻ろうとしている。


休職になって2ヶ月、急速に精神状況は悪化した。

多分、無理して抑えていたものが一気に噴き出したんだと思う。


5ヶ月目。


どうにか持ち直したけれど、出社を前にして緊張している。


でも大丈夫。

そう思うことにした。

家族がいる。日本に、タイに、ドバイに僕を心配してくれている人がいる。


貴方には心配してくれる人がいますか?


居ないのなら僕がその1人になります。



危険ドラッグに手は出さない。

脱法ドラッグ、危険ドラッグ、呼び名は変われど、多分危ないんだろうなと思う。

精製過程をテレビ番組で見たけれど、あの葉っぱ自体は何の役目も果たしていないらしい。化学薬品をまぶしてそれがお香、アロマの名の下で販売されている。

アルコールじゃダメなんだろうか?

何故、ドラッグに手を出すんだろうか?


その昔、朝日新聞が出していた週刊誌に世界のアルコールを紹介するコラムがあったが、その中で旧ソ連時代のウォッカ、スピルタスについて書かれていた。度数は優に90度を越え、冷凍庫に入れても凍らない。


記事を読んだ翌日、父親が買ってきた。住んでいた土地柄、輸入品が手軽に買えたので、当たり前のようにその店に目的の品があった。


口に軽く含んでみる。

火を不意につっ込まれたように、口の中は麻痺し、喉は焼けただれたような感覚に襲われた。

それでも、3度目くらいからは慣れてしまい、寧ろ透明な香りに夢中になったが、さすがにこれだけ度数が強いと途中からぶっつりと記憶がとんでしまった。


それから3年後の夏、僕はタイのパンガン島にいた。

フルムーンパーティーで有名な場所で、マイケルジャクソンが訪れていると噂を耳にし、ビーチに集まった観光客は異様な熱気に包まれていた。僕はついに彼の姿を見ることはなかったけれど、踊り疲れた深夜過ぎに山の斜面に建つゲストハウスに戻った。

ふと、隣の部屋を見ると戸は開け放たれ、中からお香の青白い煙が出てきているのが見えた。

近づいて見ると、中には20代の日本人の男が二人。ひたすら丸い小さなテーブルの上で、薄い茶色のペーパーに葉を載せ、それをロール状に巻いていた。

夕方、既に一度顔を合わせていたからか、僕の顔を見ると手招きして部屋に招き入れた。

テーブルの上にはハイネケンとロールされた紙。

マリファナだった。

彼らは先端にライターで火を着けるとタバコの様に吸った。


やれよ。


僕に吸いかけたそれを渡そうとしたけれど、代わりにハイネケンを手に取りやんわり断った。

嫌な、見てはいけないものを見てしまった感覚がまとわり付き、僕は部屋を出るタイミングを見計らった。


シャワーを浴びるよ。そう言って彼らの部屋から出た。

不思議とマリファナの香りはタバコのどこか身体が拒否する嫌な感じのしない、寧ろお香だと言われれば信じてしまうほど、独特の甘い香りが鼻をついた。


僕がマリファナを見たのはそれが最後。帰国後に井の頭公演でジョイントを売っている男性から、あの匂いがしたが、あれは気のせいだっただろうか。


僕はもうアルコールもタバコも止めて10年以上経つ。

ドラッグには手を出したいと思わない。

ただ不眠が続くようになってから医者から睡眠導入薬を処方してもらうようになった。

一度効き出すと記憶を一気に失うように眠ってしまう。

もし、効かなくなったら、僕はドラッグに手をだすのだろうか。

今のところ、そんな思いはまるでない。手を出す人達が語る理由もまるで理解出来ない。

その過程に至る理由がどう聞いても分からないのだ。


でもそれでいいんだと思う。

ただ、僕は睡眠薬無しで眠れるようになりたい。


薬を飲むようになって今日で4ヶ月経つ。





背中を押す

身体が自然と前に出る。

踏み出さずにはいられない。

そんな時間が誰にも平等に訪れたのだろうか。

会社員になり、髪を切り、無駄に邪魔なネクタイを締め、そうして始まった生活の中で僕は大学時代に訪れた何度目かタイで右腕に入れた誰にも見えないタトゥーや耳に残ったピアスの穴で抵抗を続けた。

会社員、社会人、どこかで常にマイナスの響きを持つ言葉に僕はいつも怯えていた。

ビジネスマンだったら、違うのだろうか。


やりたかった編集者の仕事を、出版業界が縮小してる中、不安定だという親の圧力に負け、僕はオイルを扱う商社に入社した。

面倒見の良い職場で、僕は昼食でも飲み会でも一銭も払ったことはなかった。おまけにバンコクに留学する為に退職した時は、6年分の退職金に上乗せしてバンコクでの生活の準備金として50万をくれた。

今思い返せば僕はこの上ない程、会社に恵まれていた。


それでも、営業先に出掛ける途中、いつも通り道にしていた吉祥寺のノマドという本屋を併設した旅行会社を訪れては衝動的にバンコク行きのチケットを予約しては、その週末に風邪を装い、飛行機に乗った。


たった4日間の旅行。

成田に向かう電車に乗った瞬間から僕の身体は軽くなった。

バックパックは今ではスーツケースに替わり、宿も1日数百円だったものが、四つ星のホテルに替わり、会社員生活という枠の中で考えれば、まずまずは成功と言える立場を手に入れることが出来た。


でも身体を自然と押し出すあの感覚はもう消えてしまった。


新宿ルミネ口を出て、代々木まで歩いた10代のあの日、僕はいつも見えない何かに身体を押されていた。

前へ、前へ。


僕は相変わらず予備校の授業にはまともに出ない日が続いた。

アルコールを買い、代々木の商店街の小道を入ってすぐのところにある小さな公園で仲間と朝から酔っ払い、昼過ぎには誰かが飲みすぎたワインを口から紫の透明な液体と共に地面に染み込ませた。

誰も朝から何も食べず、吐くものは液体しかなかった。

僕はぼーっと吐いている友達の口から流れ出る液体を見て不思議ときれいだと感じていた。


午後がやってくると、典子が公園にやってきて、僕に真っ直ぐ向かってくると、酔っ払った僕の隣に座り、首に腕を絡ませキスをした。

回数を重ねる毎に僕らのキスは洋画で見るような、誰が見ても次の段階に進んでる、と容易に想像がつくものに変わっていた。

誰かに教わった訳でもない。

当時、よく雑誌PopeyeやHotdogで特集されていたセックスに関する記事を読んだり参考にもしていない。

お互いを知ろうとすればする程、唇を近づける行為はもっと大胆なものに変わった。


大多数の17歳が高校に通い、眠たい目を擦りながら授業と戦っている間、僕はアルコールを飲み、好きな女の子とキスをしていた。


風が僕を押した。

怠惰な生活でも家に篭ることもなく、代々木へ僕を向かわせ、自分を誇示せよ、と心の中で誰かが僕に常に問いかけていた。

朝からアルコール漬けの毎日が自己の誇示かと言われば、今になっては疑問だが、同じ歳の人達とは違う毎日を送っていることに一人快感や優越感すら抱いていたんだ。









初めての温かいキス

初めて女の子と手を繋いだのは何歳の頃だろう。

手を繋ぐことに、異性として胸が高なるようになったのは、いつだっただろう。


僕の初めてのキスは多分幼稚園生の時だ。父親が朝仕事に行く時、玄関で靴を履いた後、母親と交わすキスを毎日の様に見ていた。

いつも僕は両親のキスの後、父親に抱え上げ抱きしめられ、何故か見てはいけないものを見てしまったような緊張を覚えながら、でも嬉しかったのを覚えている。

そう、僕はあの瞬間、両親に包まれていた。


僕はそれを真似たかったのかもしれない。幼稚園生になった初めの年、幼馴染の女の子にキスをした。親がするように。

記憶はそこで途切れている。


唇と唇を重ね合わせる。

ただそれだけで身体中が、全身の毛穴が騒ぎ出す。

悩みやそれまでしていた下らない話はどこかへ吹き飛び、ただ二人だけの時間が支配する。

吸い寄せらる、どこまでも。

彼女から発せられる10代の女の子独特の甘くて、ローズシャンプーの香り。

僕の神経は唇に支配され、ただ吸い寄せられていく。


まだ小さかったあの頃、両親が玄関でしていたキスはそんな優しさに包まれていたのだろうか。


僕の真剣な二回目のキスは、予備校の校舎の横にあった回転式の駐車場で訪れた。


管理人もいないその駐車場は、普段はその地下にあるバーが開店する前の昼間に運ばれてくる食材置場と化していて、僕らには丁度良い暗がりでいつも煙草を吸う場所になってた。大検予備校とは言っても、生徒は下は15歳から上は26歳くらいまで居たので、申し訳なさ程度に一階フロアーに灰皿が置いてあったのだけど、前の年、調子に乗った17歳がボヤ騒ぎを起こして以来、予備校内は完全喫煙になってしまったんだ。

その調子に乗った奴と僕は9月に知り合い、遊ぶ仲になったんだから、不思議なものだ。


彼女を初めて見た時は、その顔立ちと肌の白さから彼女はまるで日本人には見えず、帰国子女向コースの一人だと思っていた。

どちらかというとロシア人的な顔立ちで、でも少し服装は控え目で。


彼女は、元々山形に住んでいたが、中学校で教師をしていた母親が離婚し、別の男性と再婚したのを機に高校を辞め、東京に1人出てきて、川口で一階に八百屋があるアパートを借りて暮らしていた。離婚の話が出たあたりから高校に通わなくなったらしい。


朝、いつもタバコとアルコールを持ち、道端に座ってる僕らを無視して、典子は校舎の玄関を開け、真面目に毎日授業に出ていた。

16歳で親から遠く離れ暮らす、一体どんな気持ちだったんだろうか。自由、淋しさ、恐怖、色々なものが混ざり合いながら彼女はあのアパートで1人で起き、学校に通い、僕が友達と酔っ払い道で叫んでる間、夜どこからともなく聞こえる物音に怯えながら生活してたんだ。


そんな僕らが話すようになったキッカケは偶然にも、お好み焼き屋の阿部ちゃんだった。


しょっちゅうさ、ランチに来てはお前のこと話してる女の子がいるんだけどよ、知ってるか?あのハーフみたいな子だよ。お前と同じ大検だろ?


夜になっていつも通り、一番乗りで店に入り、お好み焼きを頼んで、出されたビールを飲んでいると、手際よく、割った生卵を丸く鉄板の上で鉄ベラで延ばしながら、阿部ちゃんがニヤニヤした顔で言ってきた。


おめーら、若くていーな。

俺なんて、あれだ、店終わったら新宿行ってスチュワーデスコース90分で楽しんで、後は家で犬と抱っこして寝るだけだぞ。


阿部ちゃんはどうみても女性から好かれるタイプで、男の僕ですら彼の人柄に夢中になってたというのに、こうやって、ユーモアたっぷりの自虐ネタで店にくる女性客を引っ掛けてるんだろうな、とその時、思ってたんだ。


それから何日後かの昼。

僕は珍しく朝から授業に出て、勉強をした。なんとなく阿部ちゃんのあの晩の話が気になったのかもしれない。授業終了のチャイムが鳴り、僕は阿部ちゃんの店に向かった。


いらっしゃい。


阿部ちゃんの変わらぬ威勢のいい挨拶に僕は自然と背筋が伸びた。


いつものヤツでいいよな?なんてやり取りをしていると、店の入り口の引き戸が開いて、女の子のグループ3人が入ってきた。


典、お前こっちに座れよ。

ほら、いーから。


阿部ちゃんは何を思ったのか、カウンター席に座る僕の隣の空席を指差して、1人を呼んだ。


授業は今日何出たの?

そんなたわいもない会話が彼女との初めて交わした言葉だった。


名前は典子。僕が普段から彼女をロシアと読んでるのを典子は知っていた。純粋な日本人で今17歳。

何となくぎこちない会話をしながら、僕は心の中で肌白いよなあ、なんてどうでもいいことを思いながらお好み焼きを食べた。


いつも、お酒のんでるでしょ。

止めた方がいいよ。怖いよ、酔っ払って朝から。


じゃあ、お前飲まないの? 


私はカルーアミルク好きだよ。

大好きな歌のタイトルになってるんだ。凄く好きでいつもCD聴いてるんだ。


いつの間にか、昼になるとどちらとなくお腹すいた!と誘い、阿部ちゃんの店のカウンターは僕らの専用席になっていた。


その日の夕方、典子の授業は夕方3時で終わり、僕らは駐車場のところに座り、話をした。

学校を辞めた理由、親が離婚して、再婚相手に2人も子供がいて馴染めず、大検受験を言い訳に東京に一人で出てきたこと、普段くだらない日常の話しかしなかった僕らが初めて、誰にも見せない姿を口にした時間だった。


どちらとなく手がふれ、手を握る力は優しくて、でも強くて、気づくとお互いに身体を抱きしめあっていた。


伏目がちにお互いを見つめる。

典子は身長が164センチで僕より14センチ程、小かった。

それでも、いつか見た朝の玄関での父親と母親が交わしていたキスのように、少し顎を引いて下を向くと、そこには彼女の唇があった。

抱きしめては少しだけ離れ、離れては、さっきより距離を縮めて、そんなことを何時間してただろうか。


ふとした瞬間、僕の頭は彼女のことで一杯になった。ただ、目の前にいる彼女が僕の心に入ってきて、僕の隙間を埋めた。


そして僕らは少し暗くなり始めた駐車場で初めてのキスをした。


代々木の駅までの距離、お互い少しでも離れない様に身体を寄せ合い、歩いた。外は暗くなってたけど、アルコールも煙草もやらなかったけど、どうでも良かった。




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阿部ちゃんと鉄板

僕らの朝は、アルコールと共に始まる。

酒屋のだいちゃんから適当にジンやらワインを買い、皆んなで予備校の前の通りの真ん中に座り、まわし飲みをする。

予備校の先生達も心得たもので、扱い辛い僕らみたいな生徒には、大学生のチューターを付け、生活態度をやんわりと注意した。

僕らについたチューターは、サキちゃん。高岡早紀を更に美人にしたような顔でいつの間にか自然と皆んなでそんなあだ名で呼んでた。

獣医畜産大学に通ってるくせに夢はディズニーのアイスショーに出ること。サキちゃんはいつも屈託のない笑顔で僕らと接し、時には飲めないアルコールを無理して飲んで僕らが家の側まで送り届けたこともある。

サキちゃんはいつだって僕らの味方だった。


朝から空きっ腹に入ったアルコールは頭の中をぐるんぐるん回り、代々木の商店街を僕はどうにか足を前に前にと進めながら歩いた。


いつも予備校の玄関口に座り、目に入っていたのが、大きな茶色のアメリカンバイクだった。

向かいのビルの脇に決まって停めてあり、その日の昼過ぎ、酔っ払った仲間とバイクに手をつけた。

とは言っても盗む訳でも傷付ける訳でもなく、ただ跨り、お互いポーズを決め写真を撮りあった。

そう、デジカメなんてなかった時代、毎日日記のように写るんですという名のインスタントカメラで何十枚と事あるごとに写真を撮った。

仲間と睨みを利かせた顔のアップ、彼女とのキスの写真、ひたすらその時の記憶を残すようにシャッターを押した。


バイクに跨っていると、不意に誰かに胸ぐらを掴まれた。


てめー、人様のバイクにどういうつもりだ!!えーっ?分かってやってんのか、この野郎。


オールバックに決めた頭に白いTシャツ、色褪せたジーンズにブーツ姿。


名前は阿部ちゃん。

ビルの地下にある広島お好み焼き屋の従業員だった。

群馬の出身で、高校を出てからお好み焼き屋で働くこと14年。

Tシャツから覗いた腕は筋肉質で、僕はやり返そうと手を払い除けようとしたが、僕を睨む目の迫力に負けて、降参してしまった。


お前ら、店入れ。


そういうと阿部ちゃんは、階段を降りて店の扉を開けた。

僕らは黙ってついていくしかなかった。


お前ら、朝から酒なんて飲みやがって、あれか?大検の奴らか?

親から金出して貰って学校行かせて貰ってんのに、ロクでもねえぞ。


黙って頷くしかなかった。

済みませんでした。

誰となく、口をついて出た言葉。

黙々とキャベツの千切りをする阿部ちゃんを前に、働く大人を見せられた初めての瞬間だった。


暫くすると、彼は笑顔になり、食ってけと広島焼きを焼いてくれた。

慣れた手つきで、カウンターにある鉄板に卵を2つ割り、それを鉄ベラで円を描くように伸ばした。

その横で刻んだキャベツと焼きそばを炒め、先に焼き始めていたクレープ状になった卵の上に載せた。

更に卵を2つ割り、さっきと同じようにクレープ状にし、キャベツと焼きそばの上に置いた。


手際よく用意された皿に出来上がった広島焼きを載せると、オタフクソースと青のりを振り掛けた。


食べていきな。


人数分のコーラと特大のお好み焼き。


その日僕らは初めて会い、怒鳴りつけてきた阿部ちゃんに、夢中で自分達のことを夕方まで店で話した。


勉強出来て、進路が選べるなんて自由でいーなぁ、お前ら。

笑いながら阿部ちゃんは言ってたけど、帰り際にいくらですか?と聞いた時には、んなもんいらねーから、また昼にでもいいから食べに来いよ、と言ってお金を僕らから受けとらなかった。


僕らはその翌日から阿部ちゃんに会いに毎日顔を出すようになった。

準備時間中、お好み焼きを焼く鉄板を油で磨き、毎晩、開店と同時に第一号の客に僕らはなった。


阿部ちゃんは、親がサラリーマンだった僕ら仲間に腕一本で働く姿を身近で見せてくれた初めての大人だった。