バンコク、ドバイ、鬱

ずっと溜めてたことを書きます。まさか自分が鬱病になるなんて。

大人になる前の誰かに。

16歳。

毎朝起きて学校に通う。勉強にクラブ活動。

そんなことを僕は17歳になる前の夏に全てなくした。

何十年か前の7月に高校を中退した。

父親の運転する車には助手席に座る母親、そして後席には僕が

座っていた。

中退届けを出しにいくのに制服を来ていく必要があったのかは今考えてみるとよく解らない。

でも僕は着慣れた学校の白いワイシャツにネクタイを締め、車のドアを開けて乗り込んだ。

高校までの道のり、何かを喋った記憶はない。

 

寧ろ覚えているのは、中退当日のことより高校入学が決まった時に母親から言われた「その制服を着て近所を歩くな、家の恥だ」、この一言だけ。

 

高校に向かう車の中でただひたすら窓から見える景色を見ていた。

退学届けを出したその瞬間から僕は高校生という社会的な身分を失った。

担任の先生に挨拶をし、僕はただの16歳になった。

車の帰り道、イヤホンをしてdokkenのkiss of deathを何度もリピートして聴いた。

ジョージリンチのヒリヒリとしたギターの音が鼓膜に突き刺さり、何度もテープを巻き戻しては彼のギターソロをボリューム目一杯にした。

dokkenとしては解散前の最後のアルバムだった。

ボーカルのdon dokkenとギターのジョージリンチの根本的な性格の不一致が原因だったけれど、その負のパワーが却ってギターの演奏に異常なまでの緊張感を与え、皮肉なことにビルボードチャートの順位をどんどん押し上げた。

ジョージリンチは僕のアイドルであり、神様だった。

public enemyなんかのラップを聴いている同級生も居たけれど、僕にはハードロックが全てだった。

ギターの歪んだ音とドラムのツーバスの音圧が心地良くて、音楽が身体ごと後ろから押し出してくれた。

 

7月はやることがなかった。学校に行かない代わりに、10時に店を開く近所の楽器屋にギターを見に行っては高校生のバイト代では到底買えないメサブギーのアンプで音を鳴らし、昼を過ぎた残りの時間はひたすら部屋に籠り音楽を聴いた。

誰にも会いたくなかった。平日から普段着で歩く自分を見られたくなかった。

幸い母親は僕が小学校に通い始めた頃から会社で働き始めたこともあり、朝7時から夜の8時過ぎまでは家には僕しか居なかった。

両親から責められず、僕が僕でいることの出来る時間だった。

学校に通わなくなっていた4月頃から伸ばしていた髪の毛は9月を過ぎたあたりで肩にまで届く程になっていた。